HISTORY
東京生まれ、池袋にて育ち、10代の頃はロックバンドで活動する。パートはギター。1980年前後、18歳頃より六本木のディスコ「キャステル」に店のDJとして在籍。その後「玉椿」のオープニングにも関わり、その他、「シフレズ」「ネオ・ジャポネスク」といったディスコでプレイしていた。
80年代中盤〜後半、90年代前半にかけて、日本にもいわゆる「クラブ」が台頭してくる。このころのDJ WADAは「バンク」「ケイヴ」「イエロー」「MC1000」などの店でプレイしていた。80年代当時の選曲としてはシカゴ系のガラージ・ハウスが好みであった。その後アシッド・ハウスの出現とともに選曲も変化していき、アシッド・ハウスの他にもアシッド・ジャズ、レア・グルーヴ、Pファンク、ニューウェイブなども織り交ぜ、プレイする環境によって内容を変えていくスタイルとなる(ちなみに「ケイヴ」では当時からテクノをプレイしていたが、純粋にテクノだけではなくハウスやプログレッシヴも混ぜていた)。
ファースト・リリースは89年頃の自主製作盤。その他にも「オーシャンズ・フロウ」名義でのアンビエント作品など。
90年代に入り、それまでも共に曲を制作してきたHEIGO TANIとともにATOM、As Two Men、Co-Fusion(由来は、もともとパーティー名であったCommunity Fusionという言葉)などの名義を使い分けて曲を制作し、国内外レーベルからの作品リリースが増えていく。ATOMの作品としては、ドイツのハウス・レーベルPlastic Cityより94年にシングル「Plus1」をリリースしたのを最初に、複数のシングルを発表。それらの作品は後にアメリカの名門ハウス・レーベルTRIBAL AMERICA、そのイギリス支局であるTRIBAL United Kingdomからもライセンスリリースされ、ジュニア・ヴァスケスなど当時のニューヨーク・ハウスを象徴するDJもヘビー・プレイしていた。As Two Men名義ではOxygen Music Worksレーベルからシングルをリリース(ちなみにAs Two Menを縮めるとATOMになる)。そして、Co-Fusionとしては日本のSublime Records傘下の12インチ・オンリーのサブ・レーベル、Reel Musiqから、1995年にファースト・シングル「Frontier」、96年にはセカンド「Diretta EP」をリリース。この頃からいよいよCo-Fusionとしての活動が活性化していく。ちなみにこのタイトル「Diretta」の由来は、手塚治虫の漫画「上を下へのジレッタ」よりきている。
時を少し遡り、94年には青山に新しいクラブ「マニアック・ラブ」がオープン。このクラブの立ち上げ時のプロデューサーであるDJ YAMAとともに毎週土曜、日本で初めてのテクノのレギュラー・パーティーであった「Sublime」のレジデントDJとなる。「Sublime」は、その後DJ YAMAが立ち上げるレーベル名へと発展、土曜のパーティー名は「CYCLE」へ変化していく。
また、この頃新宿二丁目にはマニアック・ラブの姉妹店「AUTOMATIX」がオープンし、WADAは金曜のレジデントDJを務めた。
96年8月、富士山麓で行われた、もはや伝説といえる日本初のオールナイト、キャンプインのフェスティバルRainbow2000へDJとして出演。共演はアンダーワールド、石野卓球、ケンイシイなど。
97年、ロラン・ガルニエなどフランスの大物DJはもちろん、数々のインターナショナルDJがプレイするパリの名門クラブ「Rex Club」にてプレイ。
98年、Co-Fusion名義でのファーストアルバム「Co-Fu」をリリース。この確信的なブレイクビーツ・アルバムが世界に衝撃を与える。この年にはサブライムがヨーロッパへレーベルツアーを敢行。スペインのフェスティバルSonarではSusumu Yokota、DJ YAMA、Max Brennanも同時に招聘され、Sublime専用のブースでの出演。また、この年にはUKの当時の名物パーティー「CREAM」に日本人アーティストとして初めて出演した。
99年、Fuji Rock Festival (Planet Grooveステージ)や、お台場で行われたFuture Music Festivalなどの国内大型フェスティバルに出演。海外ではヨーロッパを中心にDJで12カ国を廻った他、初のアメリカツアーも敢行。デトロイトのクラブ MOTERでは、Co-Fusionのライブを観たUnderground Resistance のボスMad Mike より絶賛される。またこの年、KEN ISHIIのシングル「GAME OVER」にてコラボレーションを行い話題となる。他、元Drum Clubのチャーリー・ホールが運営する、DJ Rush、DJ Funk、DJ Deeonなどシカゴハウスの一流アーティストの作品を多数リリースするUKの12インチ・レーベル「PRO-JEX」よりチャーリー&Co-Fusionの共作シングル「Bad Dog!」をリリース。以来、このレーベルの活動が2005年頃にストップするまでの間、合計で4枚のシングルをリリース。
00年、Fuji Rock Festival、RED MARQUEEステージへDJ WADAとして出演。共演はエイフェックス・ツイン、ルーク・スレーター、カール・クレイグ、石野卓球など錚々たるアーティストだった。
01年、Co-Fusion2枚目のアルバム「Co-Fu2」をリリース。くるり主催のイベントにもCo-Fusionのライブで出演するなど、ロックシーンへの接近も見せる。
02年、石野卓球がオーガナイズするWIRE02にCo-Fusionとしてライブで出演。
05年、Co-Fusion名義でリリースしたシングル「HOT!HOT!!」が、ファットボーイ・スリムことノーマン・クックのレーベルSouthern Fried Recordsからライセンス・リリース。リミックス盤も同時発売され話題となる。またこの年、12年間毎週土曜日のレジデントDJを務めたMANIAC LOVEが閉店。翌06年より、西麻布COLORS STUDIOにてレジデントパーティー「moments」をスタートさせ、Troy Pierce (m-nus)、Ben Klock (bpitch control)、Matthias Tanzmann (moon harbour)、Jeff Samuel (poker flat)など、ミニマル/テックハウス系のテクノアーティストと積極的に共演を果たした他、WADAと親交が深いクルーが運営する手作りのサウンド・システム「monstro stereo」を稼働しての阿佐ヶ谷「我無双」など、小箱での良音質かつ実験的なパーティーでも活動する。08年現在は渋谷moduleでも月一でレギュラーを務めるパーティーを持ち、その他にも都内各クラブでの出演を重ねている。