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DJ WADAへ寄せるコメント

これまでのDJ WADAをよく知る人々より、彼へ寄せられたコメントを紹介します。

石野卓球TOHRU TAKAHASHI (GODFATHER)KEN ISHII和田ツトム (ageHa / Maniac Loveマネージャー)TobyMAYURI (metamorphose)Q'HEY [MOON AGE / REBOOT]DJ UIROHRee.KMASA (Spacegathering, Hypnodisk)佐久間英夫久保憲司湯山玲子MASAKI SAKAMOTOMINODA (SLOWMOTION,JDI)TAKA-AKI AZZLOメタル (ライター、DJ)DJ NOBU (FUTURE TERROR)Ackky (bank!/DJ、トラックメイカー)Salmon (WC Recordings)Nathan Thursting (A&R Southern Fried Records)


石野卓球
唯一無比の安定感!
本当にすばらしかった。

TOHRU TAKAHASHI (GODFATHER)
WADAくんとは80年代初頭からの知り合いだけどこれまで一緒にDJ をした事が無かったんですが先日はじめて一緒にDJをする機会があって、その何とも心地よい選曲と滑らかなミックスを聞かせてもらって、WADAくんの感性!繊細さ!
緻密さに改めて「いいDJだな」って本当に感動したな!

KEN ISHII
Wadaさんとの出会いはいつだっただろうか。彼はサブライムのDJ Yamaと同じく、自分がプロフェッショナル・アーティストとして15年前にデビューしてから最も長くおつき合いさせてもらっているアーティスト/DJの一人だ。彼らが当時出来たばかりのマニアック・ラブでプレイする時はいつも遊びに行っていた。あの場所こそが初期東京テクノ・シーンのミーティング・ポイントで、いつもそこにはWadaさんのプレイがあった。
一度Co-Fusionにコラボレーションをお願いしたこともある。自分の代表曲の一つである"Game Over"という曲だ。
3人でタニ・ヘイゴ氏のスタジオで和気あいあいやれてとても楽しかった。Wadaさんは元バンドマンだという話も聞いていたので、ギターとベースの演奏をリクエストさせてもらったのを覚えている。
Wadaさんのスゴいところは、現役の日本のDJ中で最も長いキャリアを持っていて当然年齢も若くはないはずなのに、いつも世界のエレクトロニック・ミュージックの一番尖ったところをキープしているところだ。新しい世代のDJに対しても音楽的にとてもインフルエンシャルな存在だと思う。

和田ツトム (ageHa / Maniac Loveマネージャー)
DJ WADAと巡り会わなかったら、「テクノ」と巡り会っていなかった。
それまでいわゆる「テクノ箱」が存在していなかった90年初頭、Maniac Loveのレジデンシーとして毎週DJ WADAを筆頭にテクノを主体としたレギュラー・パーティーを開催して来たが、毎週彼のプレイに引き込まれて行くのを感じながら楽しんでいたのを思い出す。彼の人柄、それは僕が説明するまでもなく人間として尊敬に値する恩師。その人柄、繊細さ、はたまた内に秘めた力強さがプレイににじみ出ていると感じるのは僕だけでないはず。
今日の日本のテクノ・シーン、そしてその総本山に君臨したManiac LoveはDJ WADAと共に歩んで来た。

Toby
僕の15年近くのDJキャリアの中で、今だにお世話になってるのがWadaさんです。デビュー当時、「ここは、モニターが取りにくいよ。」とアドバイスしてくれたりと、いつでも、誰にでも、気さくに接してくれます。その後、青山マニアックラブや、ドイツ、スロベニアなどで、一緒にプレイしたり、ベルリンで一緒に美術館に行ったり、アパートのエレベーターに一緒に閉じ込められたりと、楽しい思い出もあります。僕も癒し系DJと言われてますが、Wadaさんは、僕にとっての最高の癒し系DJです。手前味噌ですが、自分のプレイ中に「これ、何のレコード?」とチェックしに来てくれると、とっても嬉しいです。そんな世界のDJ紳士の5本指に入るWadaさんのアルバム、既に自分の車中では、ヘビーローテーション中。クルーエルのKaori嬢や、オランダのシークレットシネマも絶賛する見事なサウンドスケープに、リピート機能全開で、どっぷり浸ってください。

MAYURI (metamorphose)
90年代初頭、友達に「知合いですごくいいDJがいる」と連れられて行った六本木のディスコで回していたのがワダさんでした。当時流行初めていたハードコアテクノや、ニューオーダーとかをかけてて、ディスコとは思えないイケてる選曲で、他のDJとは違う、と感じたのを覚えています。その後ワダさんが、マニアックラブのレジデンツになったと聞き納得したものです。DJを初めて数年しか経ってなかった私は、ワダさんのプレイは毎回真剣に聞いてました。KUDOさんと並び最も影響を受けた先輩DJです。DJ以外の仕事に就いた事がない、という話を聞いてますます尊敬したものでした。DJのスタイルに於いて東京風というものは特に確立されていませんが、ワダさんはすごく東京っぽさを感じさせてくれます。

Q'HEY [MOON AGE / REBOOT]
今から15年前の1993年頃、ボクにはちょっとした迷いの時期があった。かつてロックDJだったボクはハウスやテクノにこそロックスピリットを感じ取って、そういったダンスミュージックのDJへと自分のスタイルをシフトさせていく途中だった。でもその頃のテクノと言えばジャーマン・トランス花盛りで、その激しすぎるビートや泣きすぎるメロディーがTOO MUCHに思えたボクは、テクノに対して若干の拒否反応を示してしまったのだ。それよりはもっとタイトでソリッドなビートを放つハウスミュージックの方に魅了されて、US/UKハウスをメインにプレイする日々が続いていた。そんな中新宿のMC1000というクラブのスタッフであるカドワキくんとヨウコちゃんに誘われて、彼らがオーガナイズする「SPEED」というマンスリーパーティーに出演することになった。彼が描いたレジデントDJのラインナップはWADAさんとKAJIとボク。WADAさんの存在は知っていたけど、一緒にプレイする機会を持てたのはそれが最初だった。そしてそのパーティーでのWADAさんのセットで、ボクは本当のテクノに触れ、テクノという音楽の持つ革新性、ストーリー性、機能性、そして優しさなど、テクノの全てと言えるものを体感することとなった。その後青山に、カドワキくんが初代店長となって、壁が真っ白なクラブ「MANIAC LOVE」がオープン。WADAさんは毎週土曜のレギュラーDJになった。それから後のことはもはや説明不要だろう。ここから真の東京テクノシーンが始まり、多くのDJやクラウドがWADAさんのテクノに魅了されていったのだ。あの時WADAさんのDJに触れることが出来たボクは本当に幸せだったと思う。ボクの迷いを断ち切って、素晴らしいテクノの世界への道標となってくれたWADAさんには本当に感謝している。これまでいろんなDJに触れてきたけど、これ程までに強い影響を与えてくれたのは、後にも先にもWADAさんだけだ。ボクはこの話をWADAさん本人に何度と無く伝えているけど、そんな時彼はいつも少しはにかんだ笑顔を返してくれる。このアルバムにもそんなWADAさんの持つ新しさや優しさやストーリーが詰まっている。何度も聴き返しながら、WADAさんに対するリスペクトの念が益々強くなるばかりだ。

DJ UIROH
様々な場面でご一緒する事があるのですが、特に皆で行った名古屋万博は楽しかったな?。
僕は和田さんの事をDJとしても一人間としても心から信頼し、リスペクトしています。
いつ会っても笑顔で接してくれ、僕が気付かなくても和田さんから声をかけてくれる。
普段の会話でもそうですが、ふとした心遣いや対応で和田さんから学び、気付かされる事が多々あります。
そして絶対的な安心感。
僕も和田さんの様に力強くて優しい、器の大きい男になりたいです。

Ree.K
WADAさん! 私が世界中で最も尊敬するDJの一人です。
15年くらい前から何かと仲良くしてもらってますが、常に繊細で、かわいらしくて、とても優しい人。
音楽を大切にしているのがひしひし伝わってきます。大好きです!!

MASA (Spacegathering, Hypnodisk)
スピリットはロック、そして華麗に狂ってる!!さすがです。
ワダさんには大変おせわになっておりますー。超リスペクト&LOVE。

佐久間英夫
DJ WADAの持つ鋭い感性にはいつも驚かされてきた。いつの時代にもトレンドは存在するが、DJ WADAの中にある感性は常にそれを超えている。僕が彼と出会ったのはもう15年以上前になる。「一時DJ活動を中断していたけど、また再開するのでよろしく」最初にそんな会話をしたことを記憶している。当時彼はアンビエントDJとして活躍しており、クラブで会った時の気さくな人柄と音楽に対するする真摯な姿勢、そして長年のキャリアから生み出されるすばらしいテクニックに心底感心させられた。以来僕はDJ WADAのファンになり、国内はもとより、イギリスやスペイン、台湾などでも彼のプレイを体験している。そしてどこの国、どこのクラブでも、彼のアグレッシヴなプレイは人々を魅了して止まない。「好きなDJは誰?」と聞かれたら、僕は迷わず「DJ WADA」と答える。

久保憲司
和田さんの片耳が聞こえなくなったというのを風の噂で聞いた。耳を酷使するDJにはよくあることだけど、ショックだった。なぜ和田さんみたいないい人が、そんな風にならないといけないんだと思った。和田さんの笑顔がないクラブ・シーンなんて、クラブじゃないと思っていた。でもというか、やっぱりというか和田さんは戻って来てくれた。「どうですか?」とも「大丈夫ですか?」とも何も聞けなかった。ぼくはクラブのお決まりのあいさつ、握手をして、和田さんの横に居ただけだ。和田さんがいるだけで、幸せな気持ちだった。そして、今ぼくが思っていることは、また和田さんがそんなことになったら、日本のクラブ・シーンが終わってしまうんじゃないかということだ。

湯山玲子
39歳、仕事で行ったNYでヴァスケスのロングプレイを体験し、巷で言われているところの「クラブ」の本質に初めて理解が及んでから、もう少しで10年ぐらい経つことになる。その中でWADAさんの表現については、常に自分の中のメルクマールとして存在し続けていた。パーティー体験は、まさに一期一会のアートだが(もちろん、志ん生の落語や歌右衛門の「玉手御前」などもそうだが、観客と場如何によるパーティーはその最右翼)、彼が数々の場所で展開してきたDJサウンドにはいつも釘付けになってきた。というか、コフュージョンをはじめとして、心が音楽から離れる瞬間が”無い”のがWADAプレイの神髄。そこまでの支配力を志向しているのは何だか、「フリーダム!」のパーティー思想とは相容れないようだが、私は断然、緩くて優しくみんなでエンジョイ型プレイよりもWADA派。彼の表現には常に「その場の”地霊”を召還する」というような荒ぶるパワーのようなものを常に感じている。何だか、陰陽師みたいだけれどこれは本当で、シンガポールのセントーサビーチで機材の状態が悪くぶち切れてリタイヤしたリッチー・ホウティンの後をクールにつないでプレイを続けた WADAさん。そのサウンドは、暗闇の椰子の木陰から水木しげるセンセイ描くところの南洋の妖怪ジータが顔をちょろちょろとのぞかせているのを私は見た!(ホントだよ) 六本木ヒルズの展望台でのアンビエントプレイのような営業系にしても、夜景を前にデレデレするカップルを尻目に、癒しどころか東京のきらびやかな夜景が反転するような深い闇の方がどうしてもこちらの心根に届いてしまうのだ。ご本人、人格者だし優しいのだが、SかMかと言えば確実に前者です。観客は彼の音にすべてを明け渡したくなる。テクノはその発生から、自然と人工物との価値判断を含むアイロニカルな性質を持つ。要するにシンプルでは無いわけで、そういう意味でもWADAさんの存在は真性テクノ。その魅力は毒にも薬にもなる放射線療法。アルバムのサウンドはまさにそんな印象です。

MASAKI SAKAMOTO
クラブ事情に疎い僕でさえ、WADAさんがDJプレイを始めるやいなや、フロアが一瞬で奥ゆかしくもエッジの効いたエアーに満たされるのを感じ取ったものである。DJじゃない僕でさえ、彼がそのエアーをどのように演出しているのか、畑違いではあるものの同じ音楽家として、本当に真摯な気持ちで聞き入っていた。エンターテイメントと芸術の境界とも言える縦糸を、DJプレイで美しく紡いでいく奥義を知りたくて、それこそ追っかけになりたいと思った程だった。でもダメ。何しろ僕はクラブに出かけていくくらいなら家でCDを聞いていたいと思ってしまうような出不精だから。そんな出不精でもわかっていたことがある。往々にして良い音楽ほどその場限りで空間にとけ込んで消えてなくなってしまうということ。はかなく悲しいが仕方ない。そういうものなのである。消えてなくなってしまうからこそ美しいこともわかっていながら、そんな「はかなくも美しい音楽」を沢山キャッチしはぐってきてしまった。当然、WADAさんが何を思って音楽と向き合っているのか、知るチャンスもきっとないんだろうとあきらめていた。
 と思っていたら今回のアルバム、そんな「はかなくも美しい音楽」がバチッとコンパイルされているではないか! 奇跡と言っても良いだろう。何かを作り込もうとするような邪念もなく、垂れ流しのインプロビゼーションでもない、淡々と空気を振動させては美しく拡散し消えていく運命だった「はかなくも美しい音楽」がここにある。スポンテニアスな精神から確かな意思を持って発信された、成熟したエレクトロニックミュージックの未来を見た。リスナーとして、音楽家として幸せな出来事だった。

MINODA (SLOWMOTION, JDI)
DJというものがあの場所で何をしているかさえ解らない時に僕は初めてDJ WADAのプレイを体感した。
あの時僕の目の前と頭の中にはサイケデリックな風景が果てしなく広がっていた。その景色がまた観たくて毎週末マニアック・ラヴへと脚を運んだんだよなー。繊細なミックスと緻密なEQコントロール(当時はそんな事を知る由もなかったけどね)、そして何よりも「流れ」を重視した世界観にいつも圧倒されっぱなし、包容されっぱなしでした。DJ WADAのキャリアは本当に長い、でも、僕が初めて体感したあの時から、彼の概念は何一つブレることなく、決して淀んでいない。前進を恐れない彼の真摯な姿勢はテクノそのものであり、ただただ強靱と言うしかないんです。

TAKA-AKI AZZLO
ざっくり一言で言うなら "カリスマ(charisma)" だ。
時系列に多少の間違いはあるかもしれないが、日本で最初に "2枚のレコードをピッチ合わせて繋ぐ" という行為をしたのはWADAだ。MANIAC LOVEにて "TECHNOで踊る" という "文化" を創ったのは間違いなくWADAだろう。毎週月曜日に行われていたパーティー「WHITE ROOM」でのAMBIENT、土曜日のパーティー「SUBLIME」のタイトルが「CYCLE」となってからのJUNGLE / DRUM'N BASSを織り交ぜたPLAY、近年のCLICK等…まさに"停滞することなく、開拓しか出来ない男" だ。
「HARD MINIMAL全盛の頃のWADAで停滞しても良かった」という意見もある。分かり易い意味での "バキバキのTECHNO DJ"というレッテルは、今でも(今だからこそ)クラブビジネス上、有利に働いていた可能性は高い。要は "やり終えた巨匠"になっても良かった。…WADAはLEGENDになる道は選ばず、今も開拓を続けている。
誰にも真似出来ないようなガラス細工の山を創り上げるが、その上で胡坐をかかず、すぐに新たな制作にとりかかる…。こんな男に萌えない理由はないだろう。
MANIAC LOVEが10周年を迎えたとき、WADAさんが僕に言った一言が今でも印象的だ。
「まぁ、通過点でしょ。」

メタル (ライター、DJ)
DJ WADAは雲である。掴もうとしても掴めない。追いかけても追い越す事ができない。
明確な形がなく常に変化している。試行錯誤を繰り返し先へと進む姿に、毎回心を打たれる。そのDJには形がない。そこにあるのは彼方へと向かう不定形の一つの意思である。
自分がWADA氏に出会ったのは00年代の初頭のことである。急速に細分化が進み所謂「テクノ」には明らかな陰りが見えていた時期である。もうそこに新しいものは生まれないと思い込んでいた。
ただ、初めて氏のDJを聞いた時「テクノ」の意味がわかった。それこそが未来であり希望であると。
DJ WADAは未来を組み替えることができる唯一のDJである。

DJ NOBU (FUTURE TERROR)
僕に94〜98年頃までテクノを教えてくれたのはMANIAC LOVEでのWADAさんでした。
スキル、選曲共に本当に影響を受け、その頃は毎週WADAさんの授業を受けに行ってる感じでした。このCDを聞いてまたまたWADAさんの素晴らしいセンスを発見してしまいドキドキしちゃいました。

Ackky (bank!/DJ、トラックメイカー)
dj wada。
思い出す、maniacloveでの夜。
友だちと連れ立って、何件ものクラブを梯子してたあの時代。
グデングデンになってた自分が、気が付くと真剣にwadaさんのplayに聞き入ってました。
氏の淡々とした空気感とグルーヴの揺れが大好きです。それらがリアルな音の響きだと思うから 。
東京の音の響きは何処へ??それはこの作品の中にありますよ。

Salmon (WC Recordings)
パーティー"monents"では大変お世話になりました。普段電話すると時間を割いて遊んでくれる良きお兄ちゃんであり大先輩ですね。和田さんが僕のレコードをプレイしてくれた瞬間は本当に上がります!ホントにしみじみと嬉しいです。今回のMIX、友達とドライブしながら爆音で山の中を走ってたら相当楽しかった!そしてまた一緒に遊んで下さい!

Nathan Thursting (A&R Southern Fried Records)
僕らのレーベルがライセンスしたコフュージョンの"HOT!HOT!!"… この曲は、ホントにリズミカルで衝撃的なテクノ・トラックだ!今でもダンスフロアをRockしているよ。
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